2016年 06月 26日
現在、開港広場前交差点から大桟橋に向かう道の裏側、いわゆる西波止場、象の鼻側はこんな感じ(グーグルストリービュー)になっています。 山下臨港線プロムナードから見るとこんな感じ↓ そして1982年はこんな感じ↓ よくよく見てみると現在の遊歩道部分は、元々の物揚場の擁壁が波で浸食されたり接岸する船によって傷つけられないように1mほど沖に新たに擁壁を作って、その上に遊歩道を被せて何気に昔の物揚場を保存するような構造になっています。 ちなみに新港埠頭の旧岸壁部分も、よくよく見ると元々の路面の上に新たにタイルを敷き詰めるという同じような構造になっています。 ということは、現在、表層に敷き詰められているタイルを剥がすと、その下から昔の路面が出てくる……という仕組みなのでしょうか??? ということで、それはそれとして話を戻すと、1955年(昭和30年)に建てられた横浜掖済会大桟橋船員診療所ビルはもともとは四階建てだったものを、のちに五階部分を増築した第二形態が写真②で、その後、おそらく耐震性などの問題から五階部分を撤去して第一形態に戻したのが写真①の現在の姿ということになります。 そして写真①で、金網で囲われて雑草が生い茂っている現在のHAMA CAFEの建物の裏手にあたる場所に↓ *左手にある建物の間を抜けるとジャパンエクスプレスコンピューターセンターと現在のハマカフェの間に出ました。 こんな↑建物がありました。 撮影当時の住宅地図を見ると、該当する建物は「東邦港運KK」となっていて↑の写真②③で壁に東邦港運と書かれている建物が「第一警備」となっていますが、確かこの二社はどちらも東邦港運と書かれた建物に同居していたと記憶しています。 ということで壁に書かれた会社名を見ると↓ 商船運輸現場事務所と書かれています。 他にも塗りつぶされていますが、右に小川運輸、左は判読不能、となると、この建物は目の前の西波止場を拠点にしていた回漕業者の共同現地事務所ととして使用されていたようで、国土地理院地図空中写真検索サービスその他の航空写真を見てみると↓ 1947年(昭和22年)まで東邦港運と現地事務所三社が入った建物があった場所は空き地になっていて、1949年(昭和24年)の写真に隣の東邦港運の建物と共に写っていることから1948年(昭和23年)頃に建てられたものと思われます。 撮影当時は、戦前に建てられたものと信じて疑っていなかったのですが……。 *来月のUP予定 7月 3日:相生町1丁目界隈 7月10日:相生町2丁目界隈 7月17日:相生町3丁目界隈 7月24日:相生町4丁目界隈 7月31日:相生町6丁目界隈
by yokohama80s
| 2016-06-26 00:07
| 大桟橋・海岸通
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