2015年 11月 29日
もともと扇島は、京浜運河を開削した時に発生した土砂で川崎の海岸部を埋め立ていたものの、もともとこのあたりが遠浅の干潟で埋立用の土砂が余剰になり、その処分に困って京浜運河の外防波堤の外海側に投棄していたらいつの間にか島になってしまったもので、それに目を付けた当時、現在のJR鶴見線の前身にあたる鶴見臨海鉄道が集客策の一環として武蔵白石と現在の浜川崎の前身にあたる当時の渡田の間に"海水浴前"という夏期のみ営業する臨時停車場を開設し、海水浴シーズンに渡船を運航したところ大当たり。 当時のガイドブックには、「扇島海水浴場。鶴見港防波堤外にあり、鶴見臨港鉄道終点下車、渡船の便がある。海は遠浅の砂地で、京浜地方屈指の好海水浴場として夏期は非常に賑わい各種の設備が整っている。」とか「近くて安くて水のきれいな扇島」とあり、シャワーや浴場などが整備され昭和30年代初めまで海水浴場として利用されていたそうな。 ちなみに地名の"扇島"とは、対岸の扇町にちなんで命名されたそうで、浅野家の家紋が扇だったことに由来しているんだとか。 そして時は移って1971年に工場が川崎、鶴見に点在していた日本鋼管京浜製鉄所が、施設を一カ所に集めて生産拠点を統合するために扇島の本格的な埋立を開始し3年後の1974年に完成。 現在では企業私有の人工島ということで一般の立ち入りは厳禁されています。 一方、東扇島は、扇島の東側に1972年(昭和47年)から埋め立てが始められ1979年(昭和54年)に供用が開始され、本土側の千鳥町とは川崎港海底トンネルで結ばれていて、現在はSOLASだかなんだかで埠頭内への立ち入りが制限されていますが、撮影当時は「関係者以外立ち入り禁止」の看板がおざなりに立っているだけで、岸壁に船が着くことはまれだったことや、夏には海風が心地よかったことから、埠頭内は釣り人や、タクシー、営業車などが三々五々車を止めてご休憩中というのが普通の光景でした。 *写真はすべて1987年撮影。 *来月12月のUP予定 12月 6日: 新港埠頭 横浜税関旧石炭庫 12月13日: 新港埠頭 三角地帯 12月20日: 新港埠頭 F号荷さばき地 12月27日: 新港埠頭 三号岸壁
by yokohama80s
| 2015-11-29 00:06
| 東京・川崎
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