2015年 05月 10日
ふとしたことで竹芝、日の出、芝浦の三埠頭が戦前に作られたと聞いて、「それなら何か当時の面影が残っているに違いない」といそいそと竹芝桟橋まで出かけたのが今から遡ること30年近く前のこと。 ところがいざ現地に行ってみると、桟橋は東海汽船専用になっているし、内陸には見るからに高度経済成長期に建てられたような倉庫と近代的なビルばかりで、それらしい趣のある建物はまったく見当たらず、半ば途方に暮れて海岸1丁目北東端の近代的な高層建築のホテルのあたりまで行った時に道路を挟んで向かい側に忽然と姿を現したのが↓ いかにもという感じの、白塗り鉄筋コンクリートの倉庫が3棟連なったニチレイ芝浦工場。 ということで、「この倉庫にはどういう由来があるのやら?」と調べてみると、竹芝桟橋がある海岸1丁目が隅田川口改良工事第三期第一号埋立地として造成されたのが1922年(大正11年)~1935年(昭和10年)。 そこで国土地理院の地図空中写真検索サービスで、そのころの航空写真を漁ってみると↓ 丸で囲った所に該当の建物が写っています。 今度は、1994年発行の東京港史・通史にあった昭和14年東京港一覧図を見ると、該当地には「日本水産倉庫」とあり、その南隣りには小蒸気船発着場兼艀船荷扱場があって、その先に現在の東海汽船発着所がある岸壁に3千トンの船が3隻接岸可能な岸壁があったとのこと。 ちなみに現在、竹芝桟橋にある東海汽船の発着場は、1953年(昭和28年)に月島から移転してきたもので、それ以前は旧海岸通4丁目、現在の海岸3丁目の貨物受付所がある場所に、さらにそれ以前には旧江戸湊にあたる現在の新川2丁目の中央大橋左岸下流、いわゆる霊岸島にありました(これについては再来週アップします)。 という話は、ひとまず置いておくとして、この隅田川口改良工事第三期第一号埋立地こと、旧海岸通1丁目こと現在の海岸1丁目こと通称竹芝地区で最初の建造物であり、撮影当時、竹芝、日の出、芝浦の3埠頭で唯一現存していた戦前コンクリート建築は、その昔、カニ缶で一世を風靡していた日本水産の冷蔵倉庫として1935~6年(昭和10~11年)ごろに建てられた物のようです。 ちなみにこの倉庫の主だった日本水産は、戦中の経済統制で倉庫部門が帝国水産統制に譲渡され、戦後になって経済統制が解除されると日本冷蔵として独立し、現在のニチレイとなっています。 これは私の推測ですが、1935年(昭和10年)に旧築地居留地に東京市中央卸売市場(仮設市場の開設は大正12年)が開設されていることや、他に空き地がたくさんあるにも関わらず竹芝地区の一番端っこの角地の浜離宮を挟んで築地市場の対岸に建てられていることを考えると、どうやらこの倉庫は築地市場向けの水産物を保管する為に建てられたと思われます。 ちなみにこの冷蔵倉庫は、↑の写真を撮影した翌年の1987年に取り壊され、現在、跡地にはニューピア竹芝ノースタワーという高層ビルが建っています。
by yokohama80s
| 2015-05-10 00:03
| 東京・川崎
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