2014年 12月 14日
桜木町駅から弁天橋を渡り、ハマ銀本店のバルコニーが見印の本町四丁目の交差点を左折して、生糸検査場の建物を左に見ながらさらに進んで万国橋通りと海岸通りとの分岐点にあたる海岸通四丁目交差点を突っ切り、ビジネス街には不似合いな高度経済成長期のデフォルトだった鉄筋四階建ての建物が並ぶ公団の海岸通団地を左手に見ながらさらに進むと人工島である新港埠頭に渡る万国橋があります。 まあこれは80年代当時の話で、今だとみなとみらい線の馬車道駅を降りてちょっと歩けばすぐの場所ですがね(笑) それはともかく、この万国橋は現在のモノが1940年(昭和15年)に架け替えられた二代目。 初代は1915年(大正4年)に大蔵省が刊行した「横浜税関新港設備概要」によると1904年(明治37年)3月竣工の↓ 橋の中央部分に、ガス灯か電灯かは定かではありませんが、下を流れる運河を通行する船が橋に衝突するのを防止するために橋をライトアップする為に、橋の上にやぐらを組んでそこからぶら下げられた照明が特徴的なトラス橋。 でこの初代の橋梁そのものは関東大震災による深刻な被害は受けなかったようなのですが(護岸部分はグズグズに崩れてしまったようです)、本土側の万国橋通りと新港埠頭内の道路が震災復興に伴い道路幅が拡幅されることになり、道幅が狭い橋がボトルネック化することから当時の大蔵省は、橋の架け替えを画策したようですが予算不足により敢えなく頓挫。 ようやく予算が付いて二代目の橋梁が完成したのが、前述したように震災復興橋と言うには微妙な1940年(昭和15年)。 個人的には初代万国橋の姿をこの目で見てみたかったのですが…… それはそれとして、件の万国橋の手前……というか、たもとにあったのが1928年(昭和3年)に当時の関東運輸の社屋として建てられた万国橋ビル(戦前は本社ビルとか支社ビルと言っても、一社が占有使用するケースはまれで、大抵の場合は初めから空き部屋を賃貸する前提で建てられるのがフツーでした)。 当初は、「保存活用の協議を行う」とされていたものの、なにひとつ説明が無いままにアレよアレよという間に2012年に取り壊されてしまいました。 ということで、橋の右側を見ると↓ 運河の中に建てられた当時の職安ビルがあり、手前にははしけ溜まり↓ がありました。 で右側の歩道を歩いて橋を渡った先に見えたのが↓ 写真のレンガ積みの建物。 80年代後半から90年代にかけての建築探偵ブームに伴って出版されたムック本の中に、このレンガ物置を「明治時代に造られた石炭庫で歴史的に貴重な建物」としていたモノがありましたが、当時のこの手の本は玉石混淆。 レンガ建築ならなんでもかんでも明治時代に造られた、と決めつけているヤツがたくさんありましたから真偽のほどは確かではありません……というか、震災後に現在の場所に新庁舎が再建されるまでのあいだ、万国橋を渡った右手に税関仮庁舎が置かれた時に作られたモノだと思われます……が昔の税関設備図を見ると二代目万国橋架設中にちょうどこのあたりに仮橋があったようなのでこの説もビミョーな感じで……??? *写真はすべて1981~82年に撮影。
by yokohama80s
| 2014-12-14 00:05
| 大桟橋・海岸通
|
アバウト
カレンダー
*All Rights Reserved
カテゴリ
記事ランキング
最新の記事
画像一覧
以前の記事
2017年 12月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 more... 最新のコメント
お知らせ
検索
|
ファン申請 |
||