2014年 08月 31日

大さん橋通り

これまで4週に渡って取り上げてきた山下町は、開港当初から開けていた地区と言うか、旧永代借地の欧州人商業地区と、清国人地区と言った感じの場所になりますが、今日は明治に入って埋立造成が完了した新埋立地、今で言うと中華街の長安道の西側から横浜公園裏手の大さん橋通り沿いをお送りします。

ということで兎にも角にも震災前までは、106番地~231番地あたりの堀川通り沿いには船員相手のチャブ屋がビッチリ軒を並べ、その周りと現在は埋め立てられた派大岡川沿いに日本人や中国人の住居や店舗、会社事務所、石炭置き場、外国商社の倉庫が並び、大さん橋通り側には出遅れた(?)海外商社や比較的小規模の商社などの事務所があったそうです。

ところが震災でこれらはすべて倒壊し、堀川沿いのチャブ屋は小港と大丸谷に移転し、跡地には主に日本人の住居や店舗が建ち、海河道と大さん橋通りに挟まれた205、207、209、222,226のブロックには北仲通の生糸検査場から移転してきた絹織物検査場や、横浜絹布倉庫(のちに帝蚕倉庫と合併)などが、大さん橋通り側には海外商社の事務所ビルが建てられました。

まあ簡単に言ってしまうと、山下町のこのあたり一体は震災後に発展した新興地区と言っても良いのかもしれません。

ということで、今日、最初の写真は204番地の主に雑貨の輸出入を行っていたストロング商会によって1938年(昭和13年)に建てられたストロングビル↓。

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①204番地・ストロングビル


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①204番地・ストロングビルのウラ


次は、ストロングビルと通り(福建路)を挟んで隣りにあった205番地のタチカワブラインド↓。

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②205番地・タチカワブラインド


この建物は、ストロングビルと同じく、比較的最近まで現存していた為に、検索すると画像がドッと出てきますが、屋根が瓦屋根なのにそれ以外は洋風というその特徴的な造りから、戦前に建てられたものだろうとするサイトが大部分なのですが、実はこの建物は正真正銘の戦後建築。

国土地理院の地図・空中写真検索サービスで終戦後の航空写真を見ると、この建物があった205,207、209、222、224、226番地の区画には、のちに花園橋病院となる絹繊維検査所以外に建物が無い更地になっています。

でその後の航空写真を漁ってみると、1949年の写真にはもともとここに倉庫を設けていた横浜絹布倉庫の跡を継いだ帝蚕倉庫の倉庫があるだけ。
で、1956年の写真に該当する場所にそれらしい建物が写っていることから、1950~55年の間に帝蚕倉庫の事務所棟として建てられたものと思われます(確証はありませんが)。

ということで、話の流れで海河道沿いの209番地に1949年(昭和24年)に建てられた帝蚕倉庫山下町倉庫↓。

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③209番地・帝蚕倉庫山下町倉庫


別の写真に写っている看板には、資材、洗剤、ドライアイスと出ているのですが、どういう意味かはわかりません。

ということで、福建路の一本派大岡川側(現在、首都高がある場所)の通りに82年くらいまであったのが↓

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④224番地・花園橋病院別館


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④224番地・花園橋病院別館


1926年(大正15年)に県立輸出絹織物検査所として建てられ、その後、商工省直轄の商工省横浜輸出絹織物検査所、戦後は花園橋病院、撮影当時は花園橋病院別館だったボロボロのビル。 

で一回、大さん橋通りに出て 撮影当時にはすでに埋め立てられた派大岡川沿いの通りとのカドにあったのがヨーロッパやアメリカ、オーストラリアに生糸や絹織物を輸出していたチャールズ・ルドルフ商会によって建てられた254番地のデスコビル↓。

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⑤254番地・デスコビル


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⑤254番地・デスコビルの玄関ドア


なぜにしてチャールズ・ルドルフ商会が建てたのにデスコビルと言うのかについては定かではありません。

撮影当時にはすでに埋め立てられて首都高がほぼ完成していた派大岡川沿いに堀川方向、というか石川町駅方向に歩いて行くと、海河道が合流するカドの256番地にあったのが1926年(大正15年)に建てられたウインクレル商会↓。

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⑥256番地・ウインクレル商会(表側)


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⑥256番地・ウインクレル商会(ウラ側)


このウインクレル商会は、居留地時代に横浜で設立された数ある外国人商社のひとつに過ぎなかったのですが、現在ではこれら商社の大部分が解散消滅したり、創業者の出身国や、はたまた香港を初めとした他のアジア諸国や、日本国内の他都市などに拠点を移したりしている中で、今も横浜を拠点にしている数少ない(唯一の?)横浜発祥欧米系商社です。

ってことで、この建物は根岸線に乗って関内方面から石川町方面に向かう車窓の右側に、ハマスタと高校の間にあった……というか見えた黄色味が強いベージュ色の古ぼけた倉庫なので見覚えのある方も少なくないのではないでしょうか。

このどこからどう見ても倉庫にしか見えない建物は、1935年まで空き部屋だった1階部分がドイツ領事館として使われていたそうなのですが、この建物には通り沿いに倉庫の出入り口しか無く、建物裏手の海河道側にどう見ても通用口にしか見えない出入り口(二枚目の写真に写っているヤツが唯一の出入り口)があるだけで、実際にこの建物を見たことがある人は「かつてこの建物にドイツ領事館が置かれていた」、なんて言われてもにわかには信じられないと思います。

まあ贔屓目に言えばいかにもドイツ的な質実剛健で合理的な造りの建物と言えなくもありませんが……。


*写真はすべて1981年撮影。





*9月のUP予定
9月07日: 旧横浜市営工業地帯(新興線沿線)
9月14日: 首都高速1号線 生麦ジャンクション
9月21日: 大黒埠頭・大黒大橋
9月28日: 首都高大黒大橋地組立ヤード

               
                
                 
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by yokohama80s | 2014-08-31 00:03 | 山下町 | Comments(2)
Commented by コバ at 2014-09-15 07:20 x
こんにちは。昨年本牧二丁目のちゃぶ屋で投稿したコバです。久しぶりに訪問して見ました。デスコビルですが、義理の叔父がこのビルに勤務していました。ルドルフ商会はたしかスイスの会社ですが、日本での活動はデスコ(株)を設立していました。叔父はもう亡くなりましたがこのデスコに勤務し取締役まで務めました。本店は銀座にあり若い頃はこのビルに勤務で後半昭和55年頃から63年頃までは銀座に勤務していました。生糸相場を扱っていました。今もデスコの名で会社があるかどうかはわかりませんが、平成の初めまではあったと思います。
Commented by yokohama80s at 2014-09-15 11:48
コバさん、貴重な情報をありがとうございます。
そうなると2008年にシーベルヘグナーが前身のDKSHに吸収合併された日本デスコ株式会社がデスコビルの主だったということになるようです。
これでナゾは解けました(*^▽^*)


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