2014年 08月 10日

山下町・上町後編

横浜中華街公式HPエリアマップによると現在、中華街には命名された通りが全部で19あるそうで、今週は山下町特集第二弾として、その昔に本村通りと呼ばれていた、現在の開港道から南門シルクロードあたりの中華街19通りのうちの5つの通りを。

ということでまず最初は、本町通りの一本裏手からローズホテル(撮影当時はホリデーインと言っていたような?)に突き当たる所までの、その昔、この界隈に生糸商社が軒を連ねていたことから名付けられたシルク通りの、大さん橋通りの角地である89番地にあったのがシーベルヘグナー商会↓。

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①89番地・シーベルヘグナー商会生糸倉庫・・・と思われるカベ


と胸を張って言い切りたいところなのですが、実はこの壁の写真は最近までどこで撮影したのかが分かりませんでした。

「引きの絵も撮っておけよ」という話なのですが、なにぶんこの写真の撮影時はまだ修行中だったものでして・・・・・・。

ということで、コンタクトプリントを見ると、この壁の前に写っているのが中消防署 日本大通出張所で、上の写真があり、その次が旧露亜銀行こと警友病院別館。

そうなると中消防署日本大通出張所から旧露亜銀行へ行くまでの間に、写真の分厚い鉄筋コンクリートの壁の建物があったことになるワケなのですが、どうやらそれに該当するのが1925年(T14)にかのアントニン・レイモンド設計によって建てられたシーベルヘグナー商会生糸倉庫。

さらにあれやこれやと写真を分析してみると、どうやら写真の壁は大さん橋通り側南西角(横浜公園側)の壁で、壁に書かれている駐車禁止のサインは、占領時代に倉庫の隣りにあったJ.H.モーガン設計によって建てられた事務所棟ともども憲兵隊司令部として使用されていた時の名残・・・・・・だと思われるのですが???

でどうやらこの生糸倉庫を含めたシーベルヘグナー商会の建物・・・・・・というか、89番地の区画一帯は、再開発の為に1981年~82にかけて更地にされ、1986年に現在、某化粧品会社の本社ビルとなっているシーベルヘグナービルが建てられ番地が89番地から90番地に変更されたとのことなので、そうなると再撮影しようと思っていくらこのあたウロウロしても見つからなかったことなど、あれやこれやの辻褄が合うということに。

ということで、シルク通りを先に進むと右手に見えてくるのが、あまりの手入れの良さから撮影当時は、「どうせ戦後に建てられた"なんちゃって戦前建築"だろう」と高をくくっていたら、のちに正真正銘の由緒正しき(?)戦前建築ビルだったことが判明した75番地の大沢工業ビルことユニオンビル↓。

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②75番地・大沢工業ビル(旧ユニオンビル)のシルク通り側入口
  
 
もともとこのビルは、1928年(昭和3年)に保険会社のユニオン・インシュランス・ソサエテイ・オブ・カントン・リミテッドの横浜支社ビルとして建てられ、終戦後にニューヨーク銀行→大沢工業と家主が変わり、現在は高層マンションに建て替えられてしまっています。

でこのビルとシルク通りを挟んで向かいの95番地にあったのが・・・・・・というか、今もあるのが同撥菓子工場↓。

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③95番地・同撥菓子工場
 

この建物は現存している為に、あちらこちらのサイトで「ナゾの建物」として取り上げられていますが、1930年(昭和5年)に横浜市商工会議所が発行した横浜商工名鑑によると該当住所には、生糸、絹製品、綿製品などの輸出を行っていた"ナブホルツ商会"と記載されていることから、どうやらこの建物はこの会社の倉庫だったようです。

そして大戦後、1952年頃(昭和27年)に、横浜市によりインド系商社の復帰策が講じられ74番地、95番地(同撥菓子工場の前の現在駐車場になっている場所)、106番地と先週UPした水町通り25番地の海岸教会通り側に店舗兼住宅が建設されたとのことと、建物の壁に複数の企業名が書かれていたことなどから、この倉庫は戦後もインド系商社の共同倉庫として使われ、その後、同撥の菓子工場となった、ということのようです。

記憶が定かではありませんが、撮影時の1981年にはすでに菓子工場となっていたような・・・・・・。

ということで、シルク通りはここで丁字路になっていて、左に行くと本町通り、右に行くと開港道となりますが、文脈の都合上(私の都合でもありますが)、本町通りの横浜天主堂跡交差点~南門シルクロードの天長門までの蘇州小路の82番地にあったのが横浜華僑基督教会↓。

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④82番地・横浜華僑基督教会


極彩色に彩られた、ハデハデな印象の中華街に不似合いなほど地味で瀟洒な教会ですが、現在は今風の建物に建て替えられてしまっているようです。

でこの教会の右手の道、本町通りより一本裏手の堀川通りまでの通りには中華街風の名前が付けられていませんが、昔の長崎町通りの86番地、現在でいうとエスカル横浜の裏側にあったのが、 悲劇の、というかあえて不屈と呼びたくなる米倉商店↓。

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⑤86番地・米倉商店


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⑤86番地・米倉商店
      

と言うのも、この米倉商店は、1877年(明治10)年に元町で創業し欧米向けに雑貨、特に竹製行李やバスケットの輸出で財をなし、創業者の女社長さんは「横浜貿易界の女傑」と言われたほどの有名人だったんだとか。

そして山下町86番地の永代借地を外国人から買い取り、本町通り側に石積み洋館風の2階建て店舗ビルを建て、その隣りに建てた石積み2階建ての自宅棟の完成披露を執り行ったのが震災の二日前。
そして震災により、完成したばかりの立派な石積みの店舗と住宅はあっけなく全壊焼失。

その後、同地に再建を果たすも今度は大戦による空襲で焼失するものの戦後、三度目の復活を遂げ2000年代までこの場所で営業を続けていたそうです。

ちなみに上の写真の建物は、86番地の中華街側に接収解除後に建てられたもので、本町通り側は確か駐車場だったような・・・・・・?

でこの米倉商会ビルの向かいの100番地一帯には、中華街には不似合いな山手あたりにあるような邸宅が↓。

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⑥100番地の豪邸脇にあった車庫
      

ということで、この先で通りが堀川通りにぶつかるので再び大さん橋通りに戻って、日本大通り入口交差点~加賀町警察署北交差点~山下町交番の四叉路までの、震災前までは「本村通り」と呼ばれかつて居留地のメインストリートでもあった開港道へ。 
           
大ざっぱに言うと、この通りより海側が震災前には外国商社などの洋館が建ち並んでいたどちらかというと高級ビジネス街、内陸側、すなわち現在の中華街のあたりが清国人や日本人、山手に住めるほど裕福ではなかったり(?)、船大工などの職人系の欧米人の工房とか住居があったダウンタウン地区だったそうです。

ということで、先ほどの同撥菓子工場とローズホテル(撮影当時はホリデーイン)の間の道と北京小路との三叉路(だいぶ変形した三叉路になりますが^^)の中華街側164番地にあったのが留日広東会館↓。

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⑦164番地・留日広東会館


現在、この会館は、かつて南海洋行があった太平道の118番地に移転しています。

でローズホテル脇を通り過ぎて開港道をテクテク行くと、山下町交番前の中華街のヘソこと開港道と中華大通りと南門シルクロードとの四つ辻に出るので、そのまま朱雀門方向に向かう旧本村通りこと南門シルクロードを行くと↓

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⑧185番地・チャイハネ(撮影当時の店名はわかりません)


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⑨187番地・泉屋袋物店
    

撮影当時の80年代前半は、このような商店やフツーの住宅などが軒を並べていましたが、居留地時代はこのあたりには契約期間が切れたり、はたまた船から逃げ出したり、酔いつぶれて置き去りにされたマドロスこと下級船員たちや、東アジアを流れ流れて横浜にたどり着いたアウトローと言うかデスペラード相手の安宿や酒場(当時は"サロン"とも"あいまい屋"とも"チャブ屋"とも言った)が軒を並べ、その隙間に中国人の大工、ペンキ屋、家具職人などの住居があったそうな。

などという話はさて置くとして、そうこうするうちに106番地のY字路に到着↓。

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106番地・森元歯科医院
    

居留地時代の古い地図を見ると本来、106番地の手前に110番地がありY字路だったのですが、いつの頃かY字路拡張に伴って110番地は消滅してしまったようです、などという話も置いておいて、現在、写真左手の通りが媽祖小路、右手が南門シルクロードとなっていますが、撮影当時は写真左手が南門通りで右手が・・・・・・なんと呼ばれていたのか記憶にございませんが、南門は現在と同じく右手の道の先にありました。

さてここて注目して頂きたいのが、左側の通りと右側の通りの高低差。
左の方が明らかに土地が高く、こちら側が旧横浜村の陸地にあたり、右側の低くなっている方が開港より遡ること62年前に横浜村の住民自らの手によって入江を埋め立てた横浜新田で、このわずかな高低差が上町すなわち欧米人地区と、下町すなわち清国人地区に分けられた理由とされています。

ということで、もともと陸地側だった媽祖小路を堀川通り方向にズイズイ進むと、撮影当時は住宅と住民相手の商店が建ち並んでいました↓。

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⑪104番地・ともの(歩道を見ると南門シルクロードのような???)
 

ということで、来週は残りの中華街の通りをザックリとお送りします。   
 
 
*写真はすべて1981年撮影。




*お断り:番地は撮影当時のメモ書きを元にしていますので該当する建物の実際の所在地と異なっている場合があります。



*2016/03/13:山下町95番地の同撥菓子工場に関する記述を訂正しました。
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by yokohama80s | 2014-08-10 00:07 | 山下町 | Comments(0)


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