週刊 横濱80’s

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2014年 08月 03日

山下町・上町前編

山下町というのは考えてみれば面白い町で、現在の中華街の開港道から南門シルクロードを境に、そこから海側が上町(ウエマチ)、内陸部がもともと入江だったところを地元住民により開港の62年前に埋め立てた横浜新田で下町と呼ばれていました(常識的には逆ですよね)。

ということで、本町通りから中華街方向を見ると、かすかに下っていて、さらに街路が周りの地区に対して約45度ほど傾いていることから、GPSなどが無い時代には、なんの予備知識も無く、さらに地図も持たずに中華街をウロウロすると、どんなに方向感覚に自信があっても必ず道に迷うという一因になっています。

という話は置いておいて、もっと細かく見ると居留地時代には、本町通りの朝陽門をわずかに中華街側に入った80番地、今で言うとChina Town 80前で開港道、中華大通り、南門シルクロードに分岐する所に立った時に(あくまでも仮定ですので、決して交差点の真ん中で立ち止まらないように)西側、山下公園側に大手海外商社や銀行などが建ち並び、東側には店舗や小規模の商社などが入居する雑居ビル、中華街、そして大さん橋通り側の現在のシルク通り周辺には生糸商社が軒を並べ、80番地より南側の本町通り側から関帝廟通りには船員相手の安酒場やら安宿が密集し、その隙間に中国人の服飾、理容、大工、家具などの職人たちの店や住居があり、堀川通り沿いには造船所や鉄工所、石炭蔵が並び、横浜公園裏手から堀川に挟まれるあたり、今で言うと堀川通りから大さん橋通りと、高校とか中学校のある辺りから福建路、海河道の新居留地には外国商社の倉庫が建ち並んでいたそうです。

ということで、今月は5回に分けて山下町特集をお送りするにあたり便宜上、山下町を①本町通りより海側の商業中枢地区、②旧本村通り(現在の開港道と南門シルクロード)沿いのダウンタウン、③中華街、④福建路、⑤新居留地の五つに分けお送りします。

そんなこんなで今週は、かつての上町地区でも山下公園側から山下町1番地~69番地までの本町通りより海側を、と言っても、現在は区画整理やら大規模開発とやらで番地はグチャグチャになっていますが、80年代頃は、この辺りに限って言えばほぼ居留地時代の番地と一致していました。

ということで↓

まず山下町1番地はすでにUP済みなので割愛して、80年代に入ったころにはすでに山下公園通りには10番地のニューグランドホテルくらいしか”らしい”面影的なモノはありませんでした↓。

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①10番地・ホテルニューグランド


と言っても、この建物は1927年(昭和2年)築で、震災前に20番地にあり横浜のランドマーク的存在だったグランドホテルにあやかってニューグランドと命名されたんだとか。

で山下町の海岸通り沿いは20番地で堀川にぶつかって、再び大さん橋通りに戻って21番地から公園通りの一本裏の水町通りになります。

なにやらこの通りには、道路下に水道管が埋められていたから、"Water Street"こと水町通りなんだとか。

という話はひとまず置いておいて、大さん橋通りから水町通りを堀川に向かって歩いて行くと、ちょうど県民ホールの裏手にあたる24番地のカドにあったのが、1932年(昭和7年)に建てられ、不動産広告風に言うと「6畳3畳~10畳8畳の2Kトイレ付き、中庭に居住者専用共同浴場完備、電話暖房光熱入浴費女中代その他コミコミで家賃は月45~75円(現在で言うと¥225,000~¥375,000。ちなみに同潤会山下町アパートの同じく二間の家賃は10~21円/月)」みたいな、当時としては「超」が付く高級賃貸アパートだった互楽荘

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②24番地・互楽荘アパート(この写真は海岸教会通りから県民ホール方向を見るの図です)


なにやらこのアパートは、震災前に同所に支店を出していた東京の金巾(カネキン=敷布・肌着・シャツなどに用いられた薄地の平織り綿布のこと )問屋が建てたもので、従来の長屋的賃貸アパートとは違う近代アパートということをウリにする為に、「家主不在」、「居住者相互経営」などを売り文句にして、保証金を入会金、家賃を会費と称していたとか。

ただ家賃が家賃なので、当時ここに入居出来たのは、県庁などの部長さんクラスとか病院の院長さんだとかのセレブな方々だったそうです、というようなことがこちらに詳しく書かれています。

でその隣りの24番地にあったのが警友病院みなと寮↓。

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③24番地・警友病院みなと寮


とその隣の同じく24番地のインドクラブこと、1933年(昭和8年)に建てられた旧ダンハムビルこと撮影当時は輸入雑貨店・赤い靴↓。

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④24番地・インドクラブ


このふたつの建物の裏手、海岸教会通り側にインドクラブのテニスコートがあったことや、昔の写真を見るとどちらの建物からでもテニスコート側に行けるようになっていたことから、警友病院みなと寮もインド系商社の建物として建てられたものと考えられます。

でインドクラブから一軒おいた25番地にあったのが、震災後の1930年(昭和5年)に外国人の長期滞在者向け賃貸アパート・・・・・・というか、今で言うところのウイークリーマンション(?)として建てられたインペリアルアパート(現インペリアルビル)。

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⑤25番地・インペリアルアパートメント


これも不動産広告風に言うと、「8畳~10畳相当のベッドルームと、ウォークインクローゼット付きリビングルーム、トイレ併設洋風バスルーム付き。台所無し、替わりに一階に売店(上の写真で言うと右側の部屋→撮影当時は管理人室だった)、レストラン(昭和8年にクレセントグリルが開店するまでは居住者用の食堂だったようです)、バー有り」と言った感じ。

でさらに進むと、ニューグランド本館の裏口と駐車場がありましたが↓

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⑥10番地・ホテルニューグランド通用口


その後、1991年にこの場所にニューグランドの新館(ニューグランドタワー)が建てられました、っと、なにかだんだんぞんざいになってきましたが、さらに進むと堀川にぶつかるので再び大さん橋通りに戻り、今度は海岸教会通りに入ってズンズン行くと、47番地に「おまわりさん専用病院」こと1934年(昭和9年)に建てられた警友病院があり↓

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⑦47番地・警友病院


さらに進むとインドクラブことダンハムビルこと撮影当時は赤い靴の斜め裏、その昔、インドクラブのテニスコートがあった所の隣りに↓

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⑧25番地・バルチャンドビル


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⑨26番地・ホヂソンス商会


などの横浜市によるインド商社進出奨励策の一環として1952年(昭和27年)頃に建てられたインド系商社の建物が4棟並んでいて、その先になぜか今回のテーマとあまり関係が無いけどタクシー会社の営業所があり↓

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⑩27番地・・・・・・だったかなぁ~?


でまたまた堀川に出るので、再び大さん橋通りに戻って今度は本町通りを南下すると、51番地(現280番地)にあったのが、1921年(大正10年)というから震災前に建てられた旧露亜銀行横浜支店こと、撮影当時は警友病院別館↓。

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⑪51番地・旧露亜銀行


この露亜銀行の建物は、震災による倒壊を免れた数少ない建物なのですが、その四角四面のサイコロみたいな形状を見ればそれもうなずけるような気がします。

でこの露亜銀行という銀行は、震災後の1926年(大正15年)に日本から撤退し、その後この建物は、1926年(大正15年)から28年(昭和3年)まで建築家J.H.モーガンの設計事務所などが入居していた貸ビルとして使われ、1935年から終戦までドイツ領事館、終戦後はアメリカ銀行、1959年(昭和34年)から横浜入国管理事務所、1978年(昭和53年)から警友病院別館、1996年に警友病院がみなとみらい地区に移転してから2011年まで15年間県所有のままで空家、2011年に結婚式場「la banque de LoA(バンク・ド・ロア)」としてOPENし現在に至る、と紆余曲折を経て(?)番地も変わったものの、現在も91年前と同じ場所にたたずんでいます。

そして通りをはさんで隣りの43番地カドの53番地には、明治初期にドイツ人カール・ヘルムにより創設され震災後には艀、荷役、回漕、洗濯、外国船会社の代理店、ドック運営でブイブイ言わせていた(?)ヘルムブラザース商会が1938年(昭和13年)に建てた1階が同社本社、上層階が外国人用高級アパート"ヘルムハウスアパートメント(80年代には県警分庁舎として使用されていた)"があり(写真はありません、ごめんなさい<(_ _)>)、そのさらに隣りのブロックのカドの58番地にあったのが1929(昭和2年)に建てられた昭和シェル石油山下町ビルこと、旧ライジングサン石油本社ビル↓。

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⑫58番地・旧ライジングサン石油本社ビル(本町通り側の正面入口)


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⑫58番地・旧ライジングサン石油本社ビル(昔の備後町側入口)


ということで、来週は山下町・上町の中華街側をお送りします。


*写真はすべて1981年撮影。




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by yokohama80s | 2014-08-03 00:06 | 山下町 | Comments(2)
Commented by 酔華 at 2014-08-03 08:43 x
今回も懐かしい写真を拝見させていただきました。
ありがとうございます。
互楽荘については「市史通信」で案内パンフレットが史料紹介されていましたね。
警友病院別館は閉鎖する直前に中に入りましたが、
素晴らしかったです。
Commented by yokohama80s at 2014-08-03 12:33
>酔華さん

リンク貼るのを忘れてました(^^ゞ
でも互楽荘に関する資料が、ネット上にまったく無いのはちょっと不思議です(終戦直後の話は尾びれに背びれにエラまで付いて拡散してるのに)。
私はみなと寮の内部が見たかったです。


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