週刊 横濱80’s

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2014年 05月 25日

象の鼻波除堤

「象の鼻」と言えば今では大部分の横浜市民が、大桟橋の基部にある横浜港発祥の地と理解していると思います。

ところが私が小学生の時分には、「横浜港発祥の地は大桟橋」だと教わった記憶はありますが、「象の鼻」どころか「西波止場」という名前すら聞いたことがありませんでした(忘れただけ?)。

ということで、三つ子の魂なんとやらで、「象の鼻」という名前を知ったのはみなとみらい関連の再開発が一通り終わってから・・・・・・ってことは21世紀になってから・・・・・・というか正直に告白すると数年前、「象の鼻パークの"象の鼻"っていったいなんのこと?」みたいな・・・・・・というか恥を忍んで告白すると、数年前の某国営放送の番組を見ていて初めて聞いたワケでして・・・・・・

そんなこんなで80年代当時、大桟橋の歩道橋から横浜税関方向に見えた、なにやら奇妙な形の年代物の防波堤を見ても「ふ~ん」という感じ。

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*①1981年大桟橋歩道橋より撮影(正面の倉庫が三菱倉庫A号倉庫)


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*②1981年大桟橋歩道橋より撮影


ということで、今時の小学生(横浜市内の)でも知っている話を、いい年こいたおっさんが今さらながら改めて調べてみると、開港以前の1851年(嘉永4年)の絵地図には↓、

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嘉永4年 横浜村付近傍之図より


現在、羽衣町にある厳島神社の前身である州干弁天(しゅうかんべんてん→"州"を"洲"と表記している文献もあるようです)が大岡川河口に張り出し、そのさらに海側に州干島(茗荷島とも呼ばれていたらしい→ややこしいなぁ統一しろよ・・・・・みたいな・・・・・・)という半島があり、その先端の大岡川河口に「象が鼻("洲干の鼻"とも言ったそうですが、戦前の書物ではほぼ「象が鼻」で統一されているようです)」と名付けられた湾曲した半島がデ~ンと描かれています。

しかし1859年(安政6年)の開港時の絵地図には↓

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安政6年 横浜開港地割之図より


州干弁天の海側にそれらしいモノが「あれっ?」というくらい控えめにチョコンと描かれ、1864年(元治元年)の絵地図では↓、

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元治元年 横浜明細全図より
*絵地図は三枚とも横浜市史稿・附図の物を加工しました。


すでに本家本元の「象が鼻」は絵地図から消え去って、代わりに西波止場に象の鼻波除堤が作られています。

ということで、絵地図を並べてみてもなんだか良くわからないので、今度は近代デジタルライブラリーで1928年(昭和3年)発行の「横浜の史蹟と名勝」その他の書物を読み解いてみると、どうやら上記の絵地図で本町一丁目と書かれている通りが現在の馬車道通りで、海岸通りと書かれているところが元浜町、さらに丁目が現在とは逆とのこと。

で現在の弁天通、本町、北仲通、太田町の5~6丁目一帯の一万二千坪が鬱蒼とした松林に囲まれた州干弁天の境内で、現在の弁天通が参道で、県立博物館と日本興亜馬車道ビルの間に鳥居が、その先にヒョウタン型の池があり、そこに架かる太鼓橋を渡った弁天通6丁目106番地(・・・・・・ってどこ?)に茅葺き屋根の社があり、北仲通5~6丁目の旧生糸検査場と帝蚕倉庫にかけて州干島と呼ばれた半島と、さらにその先に象が鼻と呼ばれた砂州があり、対岸の現在の桜木町駅あたりに姥ヶ岩という岩礁が海面から顔を覗かせ文久元年(1861年)に埋め立てられるまでは風光明媚な景勝地として有名だったそうです。

となると、どうやら本家本元の「象の鼻」こと「象が鼻」は、今で言うところの旧生糸検査場こと第二合同庁舎のど真ん中あたりに埋まってしまっているようですが↓、

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*2014年撮影(北仲橋より、象が鼻はこのあたりのようなのですが・・・・・・)


なにぶんにも測量に基づいた西洋式の地図が始めて作製された明治4~6年ごろには、州干弁天や州干島、象が鼻一帯はガッツリ埋め立てられてしまった後なので、正確なところは「よ~わからん」というのが実際のところのようです(上の写真の三段護岸が安政6年の横浜開港地割之図で弁天社の松林が描かれている部分にある半島状の部分と形状がクリソツなことを考えると「象が鼻っていったいどこ?」という無限ループに・・・・・)。

ということでこれらのことを踏まえた上で推理してみると、開港時に作られた東西ふたつの防波堤からなる開港場は外海に口を開けている形状だったことから、北東の風が吹くと波がザッブンザッブンと打ち寄せてなにかと都合が悪いということで、後に西波止場右側の防波堤の先に湾曲した形に作り直した時にその形状がかつて景勝の地として有名だった「州干弁天」の「象が鼻」に似ていたことから、それになぞらえて「象の鼻」と名付けられたのだろうと思われます。

と言うのも当時、細く湾曲しているだけで即座に象の鼻をイメージ出来るほど、象という動物がポピュラーな存在だったとしたら、日本全国そこかしこに象の鼻と名付けられた砂州が無いと辻褄が合わないような・・・・・・?

まあそれもそれとして先々週UPしたように象の鼻波除堤の内側こと西波止場は船溜まりとなっていて、波除堤基部から大桟橋はタグボートの停船場というか待機場となっていました(象の鼻の写真が上の2枚しか無いことをさりげなく絵地図と文章で誤魔化す今日この頃なのであります)。

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*③1982年撮影


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*④1982年撮影(バンパー代わりの古タイヤはかつて旅客機で使用されていたモノ)


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④1984年撮影(放水銃の整備中。タグボートは消防艇としての役目も担っている)


③の写真のように、タグボートは常に船尾を桟橋に向けて繋船していたために、タグボートが出港するときには大桟橋全体がビリビリビリビリとあまりに振動するもので、「そのうち崩れるんじゃないか」と心配になったことを憶えています。

まあ今現在は、杭の上に載っている桟橋ではなく埋め立てられた人工島、すなわち「岸壁」となっているようですが、そうなると「大桟橋」という名称が・・・・・???

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*⑤1982年大桟橋一号物揚場にて撮影


という話はひとまず置いておくとして、そう言えば現在、象の鼻の基部には何もありませんが、昔は波除堤の根元には税関船員詰所が建っていました。

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⑥1982年裏象の鼻基部・税関船員詰所裏にて撮影


などと言いながらも、この建物が写っている写真は、上の写真と先々週の記事の写真(波除堤基部の鉄筋2階建てのビル)しかありません。

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⑥1982年撮影
(正面真ん中に写っている二階建ての建物が税関船員詰所)


ということで、先々週の記事の最初の写真の真正面に写っている二階建て建物が税関船員詰所の建物です、などと、これもさりげなく誤魔化してみる今日この頃なのであります。






*来月6月のUP予告

6月 1日: ハンマーヘッドクレーン・その一
6月 8日: ハンマーヘッドクレーン・その二
6月15日: 日本鋼管鶴見製鉄所・天井クレーン
6月22日: 鶴見区大黒町2 大黒倉庫
6月29日: 新港埠頭 三噸可動式起重機

以上、名付けて「鉄骨特集」をお送りしますのでお楽しみに。

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by yokohama80s | 2014-05-25 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)


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