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週刊 横濱80’s

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2014年 03月 30日

日本大通11 旧横浜商工奨励館

現在、日本大通の三井物産ビルの隣に低層階がクラシカルな横浜情報文化センターなるビルがあります。

このビルの低層階の日本大通側の旧館部分が、「横浜市が、今上陛下御大禮記念として去る昭和二年建設(原文のママ、ちなみに現在は昭和4年建設とされている)、横浜商工会議所の経営管理になるもので横浜商工会議所の所屋が一、二階全部を占め、輸出向け物産の陳列と、海外取引斡旋を主要事業としているが、館内には単に県下のみならず関東各地の輸出向け物産が一同に陳列され、国際都市横浜にふさわしく異国人の来観が多い」と1938年(昭和13年)発行の神奈川県商工要覧で紹介されている横浜商工奨励館だった部分になります。

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*正面玄関側


その後、戦後の一時期、横浜税関が使用していた時期もあったりしましたが、1975年(昭和45年)に商工会議所が山下町2番地に新しく出来た産業貿易センタービルに移転したことにより、その役目を終え46年の歴史に幕を閉じました。

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*正面玄関の洒落た照明


とここで話が終わればアレなんですが当初、横浜市はこの建物を取り壊すつもりだったのですが、建築学会だかなんだかから「歴史的に貴重建物なので保存すべき」という申し入れがあったり、はたまた建物下に関内と本牧方面を結ぶ地下鉄3号線の建設が予定されたり、かと思ったら、市の財政状況から地下鉄3号線計画と現在のみなとみらい線にあたるみなとみらい21線計画を天秤にかけて3号線計画をあっさり見捨てたり、という紆余曲折の結果、この歴史的建物はその行く末が定まらないまま、20年ものあいだ、日本大通沿いに朽ち果てるままに塩漬け状態に。

日本大通り沿いに、煤けた廃ビルが朽ち果てるままに放置されている、というのはちょっと異常で異様な風景でしたが、使われなくなって20年後の1995年(平成7年)になって、ようやく横浜市が「現在のような姿で保存」するという方針を打ち出し、施設の閉鎖から25年後の2000年に商工奨励館の裏手部分(旧電電公社の裏手でもある)に高層階を増築し、旧電電公社ビルと共に横浜情報文化センターとしてリニューアルオープンして現在に至り、めでたし、めでたし、という次第。

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*三井物産側通用口・その1


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*三井物産側通用口・その2


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*三井物産側通用口・その3


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*なぜかワンコが(25年間、完全な空き家だったわけでは無く管理人の方が常駐していたようです)


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*図面を見るとこの窓は男子トイレの窓のようで、どうやらトイレの窓というものは割られる運命にあるようです。


個人的には、どうせ旧商工奨励館と旧横浜市外電話局をセットで残すのなら、現在、駐車場となっている中消防署日本大通出張所も残して欲しかった、と思うのですが・・・・・・

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*往事には催し物の案内を掲示をし(・・・・・・たと思われる?)、現在は施設の説明パネルとして使用されている掲示板


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*旧横浜中央電話局の緊急車両出入り口


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*商工奨励館のあった一角はビルがテトリス状態(笑)
(1964年撮影の航空写真より)







*4月のUP予定

4月 6日 : 新港埠頭 九号岸壁
4月13日 : 住吉町1丁目・神奈川県庁住吉町分庁舎
4月20日 : 北仲通2丁目・興亜火災海上保険横浜支店
4月27日 : 山下埠頭・若草丸


by yokohama80s | 2014-03-30 00:04 | 日本大通


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