2014年 03月 09日
本町通とは、国道16号の桜木町一丁目交差点(桜木町駅前)から、東へ弁天橋を渡って馬車道との交差点を過ぎ、神奈川県庁脇を抜けて中華街東門の前を通り元町へ向かう谷戸橋手前を左に折れて山下橋までの通りを指す通称で、その昔には本牧埠頭、山下埠頭、新港埠頭から大黒埠頭や、川崎、東京方面へ向かうトラックの主要ルートとなっていて、別名「コンテナ街道」などと言われ平日はデフォルト渋滞の、現在とは比べものにならないくらい交通量の多い道路でした。 などというと最近造られた道路のように思えますが、この本町通は歴史有る通りで、開港を機に幕府が商人たちの誘致を行い、この通り沿いに商店を開かせたことに端を発して、それ以来、生糸や絹製品を扱う商店が軒を並べ、当然、外国人との取引もあることから両替商が店を開き、昭和10年頃には通りの両側には銀行や保険会社、各種企業の本支店などが50店近く軒を並べていて(←この数字は当時の企業一覧で本町に住所を置いている主な企業を数えただけですが)、「日本のウォールストリート」などと称されるほど活況を呈していたそうです。 その後、空襲で関内は跡形も無く焼失してしまったのですが、本町通り沿いの建物はコンクリートで作られていたために、その大部分が焼け残り、そんなこんなでこれらの写真を撮影した80年代頃には、通りの両側に戦前に建てられたクラシカルで重厚な造りの建物が多数残っているその脇を、本牧方面へ向かうトラック、来たトラックが行き交う・・・・・・というよりも慢性的な渋滞で数珠繋ぎになっている、というちょっとシュールな光景が見ることができました。 ということで、今回は(次回はありませんが)、弁天橋から県庁脇あたりまでの写真を。 で一枚目は↓ 言わずと知れた、現在は本町5丁目にある旧横浜銀行本店別館こと旧第一銀行横浜支店こと、現・ヨコハマ創造都市センターという意味不明の施設となっているビル。 このビルは、もともとは本町四丁目の交差点の万国橋方向、はたまた馬車道通で本町通をつっきった先、生糸検査場の隣というか手前にあったものを、再開発で交差点を拡張するためにバルコニー部分を残して解体して残った部分をワンブロック北に引き家しバルコニーの背後の部分を新たに作り直したのだそうです。 まあ横浜市お得意の「取って付けたようなあざといハリボテ建築」にしなかっただけまだマシ、と言ったところでしょうか。 ということで、馬車道通と交差する本町四丁目交差点を抜けると三丸本町ビル(来週UPします)があり、さらに進んだ本町三丁目交差点手前の海側に協栄生命横浜ビル↓ があり、そのとなりに旧・若尾銀行だった若尾ビルがあり↓ さらに進んだ本町1丁目交差点奥、というか県庁前交差点手前の本町1丁目にあったのが1930年(昭和3年)に江商横浜支店として建てられた本町旭ビルこと、綜通横浜ビル。 ちなみにこのビルは、1995年に写真の本町通側のタイル部分のみを保存したハリボテビルとして新築されています。 さらにちなみに江商(ごうしょう)という聞き慣れない会社は、1891年(明治24年)創業の繊維商社で、その昔には伊藤忠、丸紅と共に関西五錦のひとつに数えられたほどの大会社で、ややこしいのでザックリはしょると、江商の本体はその後、紆余曲折を経て現在の総合商社兼松になり、かつて江商から独立した衣料部門が現在のレナウン、ということになるそうです。 で通りの向こう側を見ると↓ 知る人ぞ知る(?)、通称クイーンだったか、ビショップだったか、ポーンだったか、ルークだったかは忘れましたが(個人的にはこの手の例えにはまったく興味が無いのですが、県庁がキングということだけは覚えている不思議?)、とにもかくにも震災前の1927年(大正6年)に建てられた開港記念館がありました・・・・・・というか、今もあります。 ちなみにこの開港記念館は関東大震災前に建てられた、と言ってもさすがに震災の被害は免れず塔部分を残して崩壊してしまったそうですが、当時の人たちがあの手この手で資金を工面した結果、ほぼ震災前の姿に復元されたのだそうです。 *写真はすべて1982年撮影。
by yokohama80s
| 2014-03-09 00:05
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