週刊 横濱80’s

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2013年 10月 06日

大桟橋

 「大桟橋」と言えば、言わずと知れた横浜港を代表する埠頭・・・・・・というよりも、「横浜港そのもの」といっても良い存在で横浜を代表する超有名スポットでもあります。

 ということで大桟橋の来歴をザッと書き出すと、1859年の開港から35年間、現在の象の鼻にあった東西波止場、と山下公園のニューグランドホテル前のあたりにあった西波止場ことフランス波止場の荷揚場しか無かった横浜港に横浜築港第一期工事により完成した船舶を直接、横付けすることが出来た桟橋(水中に杭を打ち込んでその上に構造物を建築する構造)だったのですが1923年(大正12年)の関東大震災により桟橋部分が倒壊。

 翌年の1924年(大正13年)11月1日から復旧工事が始められ、翌年の1925年(大正14年)10月28日に日本郵船のロンドン航路に就航していた白山丸、シアトル航路に就航していた三島丸、東洋汽船でサンフランシスコ航路に就航していた天洋丸、所有会社不明の海洋丸(文献によると四隻中一隻が大阪商船所有の船舶だったようなのですが当時のの所有船舶リストに該当する船名が無いことから文献の誤植と思われます)の四隻の客船を桟橋に係留し千二百人を招待して桟橋復旧工事竣工披露会を開催(当時は1924年・大正13年5月24日に九~十一号岸壁、同年9月13日に四号岸壁、翌年1925年・大正14年3月28日に三号岸壁と、復旧工事が竣工するたびに復旧工事竣工式を大々的に執り行った)

 その後、大桟橋は外国会社が運行するサンフランシスコを初めとした北米航路、国内外の船会社が運行する欧州航路、シアトル航路、世界一周航路の客船や貨客船、さらに貨物船への高級雑貨の積み込みなどに使用されていました。

 ちなみに現在の、大桟橋旅客ターミナルは四代目にあたり、初代は桟橋中央部に上屋がある構造で震災により倒壊焼失、震災復旧工事に伴って作られた二代目は桟橋中央部に一階が上屋、二階に帝国ホテルのレストランなどが入った旅客ターミナルで、三代目が東京オリンピックに伴って建て替えられたもので、一階が税関諸施設、二階に旅客待合所や土産物店などが入った旅客ターミナルでした。

 ということで、1980年代はちょうど三代目ターミナルの時代なのですが、この頃になるとかつての華々しい栄光も昔話となり果てて、大桟橋にやってくる客船と言えばサビサビのナホトカ航路の船↓

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*1981年撮影(停泊中のバイカル)


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*1987年撮影(フェリックスジェルジンスキーのファンネル)


が夏場は週一、冬場は月一から月二でやって来るだけで、時々休養目的の貨物船などが停泊している程度で↓

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*1986年撮影


普段はもっぱらタグボートの待機場となっていて↓

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*1982年撮影


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*1982年撮影


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*1982年撮影


豪華客船がやって来るなどということは、年に一回どころか数年に一回程度の大イベントでした。
 ということで、当時の大桟橋は入出港する客船を見物する場所↓

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*1986年撮影
(運良く遭遇できた、当時、国内唯一の客船だったさくら丸の出港風景)


というよりも、桜木町駅から山下公園に向かう時に大桟橋に寄り道をして、「客船が見られたらラッキー」程度の存在でした(笑)

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*1980年撮影(船が居なくても老いも若きもみんな仲良く桟橋の突端まで行ってUターン^^)


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*1980年撮影(ヨチヨチ歩きの赤ん坊も例外ではない!)


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*1980年撮影






*2016/01/22・大桟橋の来歴を加筆し写真を追加しました。

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by yokohama80s | 2013-10-06 00:07 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)


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