2013年 08月 11日
今現在、海保の海上防災基地手前・・・・・・というか、工作船展示館の脇に、震災により倒壊した四号上屋再建に伴って、「第四号上屋引込線ヲ本線トシテ客車ヲ運転セシムル関係上同上屋前ニ幅員2間延長77間余ノ旅客乗降場一ヵ所ヲ新設ス(昭和9年大蔵省営繕管財局発行「営繕事業年報. 第1輯・大正14年度」より抜粋)」ということで、1928年(昭和3年)に建設された旧横浜港駅プラットホーム・・・・・・とされる"建造物"が存在します↑。 ちなみに当時は渡米する時には出港前に大桟橋の入口にある水上警察署に出頭してパスポートの本人確認をして査証を貰わなければ乗船出来なかったのですが、ボートトレインが四号岸壁の横浜港駅に着くのが出港の1時間30~45分前で、四号岸壁から水上署まで徒歩で往復20分ですので、通常なら問題無く乗船出来るようにも思えます。 ところがサンフランシスコ行きの船が出港する日は、水上署の窓口はこの査証を貰う人が殺到して大混雑する為に、東洋汽船がサンフランシスコ航を運行していた時は出港が正午だったことから前日から受付をしていましたが、大正15年に合併により郵船がこの航路を引き継ぎ出港時間が15時に変更されると、水上署での査証交付も当日のみとなり、ボートトレインで横浜港駅に直行しても出港までに戻ってこられない可能性がありました。 実際に国会図書館デジタルコレクションで当時のガイドブックを紐解いてみると、「四号岸壁へは東京からのボートトレインが便利」と書いてある一方で、「あれやこれやの面倒な種手続きをすべて丸投げ出来る移民宿に二等三等船室利用者は出港一ヶ月から5日前、一等船室利用者は出港前夜までに投宿すべし(二三等船客には出港4日前に実施される健康診断の受診が義務づけられていた)」とか、「出港当日は出港の4~5時間前には横浜港に行くように」とか、なかには横浜駅や桜木町駅から水上署経由で四号岸壁までの人力車とタクシーの料金を紹介している本もあります。 また実際に横浜から渡米した人によって書かれた旅行記などを見ても、「ボートトレインで横浜港まで行って乗船したと」と記述した物は見当たらず、大部分の旅行記には「桜木町駅で下車して波止場に向かった」と書かれています。 また昭和10年の中区勢概要に記載されている横浜港駅での乗降客数を見ると、一列車あたりの平均乗降客数は横浜港駅で列車を降りた人が311人、東京駅へ向かった人が278人でその差が33人。 さらに横浜と同じく郵船の欧州航路出港日に京都~神戸港駅間に臨時列車が運行されていた神戸港駅の場合は乗降客数の差が75人でこの差について大正14年度版神戸港大観では、「降車人員に比較して乗車人員の少なきは、客船出帆後当市見物の傍ら所要を辨ずる者があるが為なり」としています。 そんなこんなで四号岸壁からサンフランシスコ行きの船が出港する日に運転されていたボートトレインの乗客のうち乗船目的の乗客は、渡米に際して何かと便宜が図られていた政府関係の視察団や海外赴任その他の公務で渡米する人くらいなもので、利用者の大多数は見送り客と客船見物の観光客だったようです(あくまでも昭和3年から16年頃までの話です)。 と言う話はひとまず置いておくとして↑の案内板には、「-前略-保存利用にあたり傷んでいた上屋は新材料で復元しています」と書かれていることから、現存しているプラットホームは全長77間余、約140mのうち、(実際には東京側30間、約55mの所で幅5間、約9mほどプラットホームが途切れていて、そこにプラットホームを横切る形で四号上屋脇から右突堤中央道路に合流する港内道路が通っていました)東京側30間、約55mの部分を、そのまま保存しているのか・・・・・・と思いきや、写真をよ~く見比べてみると↑↓ オリジナルのホームには柱が6本あるのに対して、現在あるホームには4本しかありません。 幸いなことに、このての古い建築物は和式洋式を問わず今は亡き尺貫法を元に作られているので、柱の数や梁の数を数えるとたちどころに寸法がわかってしまう、という優れモノ。 ということで、細かい部分は都合良くはしょってしまうと、結局のところオリジナルの屋根は2間間隔で梁が設置されていて、柱と柱の間に梁が2つあるから柱と柱の間隔は6間スパンなので、柱5本×6間=30間(注:昭和9年版の横浜税関設備図では29間となっていますが当記事では実測値の30間を使用しています)でそれに1間1.81818mを掛けると54.5454mになるので、面倒なんで四捨五入すると約55m。 で現在のプラットホームには柱が4本で、同じように計算すると両端の柱の間が18間で32.72724mで四捨五入すると約33m。 なにげに22mも短くなってるじゃないか、ということで航空写真その他で計ってみても、やはり約32mしかありません。 ということで、何か他にも違う所はないだろうか、と鵜の目鷹の目で新旧比べてみると屋根そのもののみならず屋根を支えている鉄骨の柱も↓ とある書物によればオリジナルではないそうですし、そうなると柱がプラットホームに埋め込まれているうえ、全長も短くなっていることから、プラットホームそのものもオリジナルではないし、さらに元々は床面は通常の半分の厚さの俗に言う「はんぺんレンガ」↓ が敷かれていたのに現存している方はただの石材タイルだし、東京側ホーム先端の形状も私の記憶では現在のように弧を描いたものではなく直線だったしetc,etc,etc・・・・・・ さらにこの旧横浜港駅プラットホームと称する建造物は、臨港線の現存する鉄橋を含む新港埠頭内に現存している遺産群がこぞってリストアップされている経産省が定める近代産業遺産認定リストに記載されていませんし、ハリボテだろうがなんだろうが建設当時の部材をどこかしらに使用していればオッケーというように、めちゃくちゃハードルが低い横浜市が定めた「認定歴史的建造物」の認定も受けていないという不思議??? となるとこう言ってはなんですが、「これっていったいなにを保存しているの?」という素朴な疑問が・・・・・・??? 私は1987年以降、2012年まで新港埠頭に足を踏み入れていないので、オリジナルの旧横浜港駅プラットホームが、その後どのような経緯を辿って現状のような姿になったのかは知りませんが、現存しているプラットホームを見ると、一度、キレイサッパリ取り壊して整地していたら、そこから震災前にあった税関事務所の土台の遺構が出て来たので、慌てて公園に仕立てることにして急遽、現在のように"新築"したのだろう、と思われます。 と言うのも、初めから保存するつもりなら取り壊した四分の三の部分から幾らでも程度の良いパーツを取ることができたはずですし(道路側はボロボロでしたが線路側は比較的綺麗な状態を保っていました)、わざわざ作り直すにしてもオリジナル性を尊重するのが常識のはず。 まあ百歩譲ってプラットホームを保存しようという姿勢は評価したいところなのですが、すぐ近くに見事に復元された赤レンガ倉庫2棟が歴然と存在しているワケで、そうするとこの旧横浜港駅プラットホームと称されるモノの"残念さ"が一層際立ってしまうワケで、正直なところ「もうちょっとやりようがあったんじゃないの?」と思わざるを得ません。 お断り 1934年(昭和9年)に横浜市土木局発行の「横浜港」に掲載されている「横浜税関設備図」によると、横浜港駅旅客昇降場の東京側プラットホームの長さは29間(約53m)、通路部分が5間(約9m)、四号上屋側のプラットホームが42間(約74m)、プラットホームの幅が2間(約3.6m)とされていますが、当記事においては実測値を採用しました。 *2016/01/23 写真2枚を追加すると共に記事にボートトレインの件を加筆修正いたしました。
by yokohama80s
| 2013-08-11 00:04
| 新港埠頭
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