2013年 10月 13日
横浜公園を抜けて日本大通の銀杏並木を歩いて行くと、ちょうど2ブロック目に見た目はひとつのビルですが実際には正面玄関の左側が1911年(明治44年)築の一号棟で、右側が1927年(昭和2年)築の二号棟という2つの建物が合体した三井物産ビルがあります。 そしてその角を右に折れると、これまた見た目はこのビルと繋がっているように見えるタイル張りの壁が表れます。 これが現・日東倉庫日本大通倉庫こと、もともとは三井物産横浜支店生糸倉庫として1910年(明治43年)に建てられた御歳103歳の日本最古の全鉄筋コンクリート建築(実際には鉄筋コンクリートとレンガ積みと木造の混合建築)とされる建物です。 国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧可能な震災当時の大蔵省営繕管財局が編集した議院及諸官衛震害調査委員会・・・・・・面倒くさいから今風に言うと、議会とお役所合同の被害調査委員会の調査報告をまとめた1925年(大正14年)発行の「大正大震災震害及火害之研究」なる書物を紐解くと、「第一号棟倉庫(写真の日東倉庫のこと)には外部の焼レンガに軽微の亀裂が認められる」とあり、さらに「第二号棟倉庫(現在の横浜朝日会館ウラにあった)は全部焼失せり、第三号棟(?)は1~2化粧焼レンガが剥落した他は被害は認められない」とあります。 さらに続けて「本建物に隣接するチャータード銀行(煉瓦造)及獨亜銀行(煉瓦造)は跡形もなく倒壊しているから、この付近一帯は地盤が悪い。それにも関わらず本倉庫一号棟、三号棟に被害がないのは設計、工事施工方法が優秀だったからだ」と結論づけています(この書物では言及されていないが、この書物で言うところの四号棟こと現・物産ビル1号棟も被害がなかった)。 さてここで気になるのが、この書物でいう第三号棟なる建物。 そこでこの書物に掲載されている手書きの建物配置図を現在の地図に落としてみたり、昔の航空写真を漁ってみると、どうやら現在の横浜朝日会館が1975年に建設されるまでは、その場所に「鉄筋コンクリート造、外部タイル張り、一部倉庫として使用」されていた、日東倉庫と同じ外観の三号棟倉庫があり、震災の激震にビクともしなかった三井物産絡みの建物が都合三棟が1970年代前半まで現存していたことになります。 「だからどうした」という話なのですが、上記の書物で第一号棟倉庫にあたる日東倉庫日本大通倉庫を耐震診断した論文がググると出てきますが(「 歴史的れんが造建築物の耐震診断 : 日東倉庫日本大通倉庫耐震診断」という論文。以前は普通に閲覧出来たのですが現在、閲覧は有料になっていて見られなくなっています←なぜ?)、それによると建てられてから100年以上経過しているにも関わらず、現在の基準に照らしてもまったく問題無しとのことで、これはUボートブンカー並(?)に堅牢な建物を何棟も建てられるくらい当時の生糸貿易が今では想像もつかないくらいの巨万の富を生み出していたということを意味しているのではないでしょうか。 という歴史あるこの倉庫も現在、開店休業状態のようですが、個人的にはこの倉庫をビアホールにでもすれば絶対にウケると思うのですが・・・・・ *写真はすべて1981年撮影。 *2014年8月28日に「大正大震災震害及火害之研究」の加工図面を追加しました。 *2014年11月6日:「大正大震災震害及火害之研究」の三井物産横浜支店の項目のPDFへのリンク(国会図書館近代ライブラリー)を追加しました。
by yokohama80s
| 2013-10-13 00:03
| 日本大通
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