週刊 横濱80’s

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2013年 06月 02日

石川町 亀の橋

まずは予備知識としてアレやコレやのこまかい話は、「ダルマ船」とか「水上生活者」などでググッて頂くということで「以下省略」(笑)

といことで、時は80年代初頭の頃。

当時、桜木町駅近くの大岡川の河口に架かる弁天橋のあたりや、新山下の貯木場、堀川河口一帯、そして中村川に架かる亀の橋のあたりには多くのハシケや引船が係留されていました。

ちなみに余談になりますが、もともと中村川はの河口は現在の西の橋あたりだったのですが、横浜開港に伴いこの河口沖合を埋め立てて居留地を造成するのあたり、現在の桜木町の大岡川と中村川の西の橋下流を結ぶ運河が掘られ(本来なら派大岡川と呼ぶのが正しいのですが正式名称はあくまでも大岡川だった⇒現在は埋め立てられています)、さらに中村川の河口を運河で延長し、この運河を"堀川"と名付けたことにより、中村川の延長にに過ぎないにも関わらず、正式には西の橋を境にして上流が中村川、下流を堀川とされています。

ということで話を戻すと、その中でも一種独特、というか特殊だったのが亀の橋周辺。

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*これは弁財船かはたまた五大力船の成れの果て


というのも、ハシケを自動車に例えれば大岡川や堀川河口がトラックのいわゆる駐車場とかシャーシ置き場という感じなのに対して、亀の橋周辺は、繋がれていたのはこの頃にはすでに一線を退いていた木造のハシケことダルマ船で、そしてそのほとんどのハシケには人が住んでいたということ。

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*正面からの図


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*こちらはちょっと新しいタイプのダルマ船


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*後ろからの図(正面に写っている高架橋が石川町駅)


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これはハシケ全盛期だった昭和30年代頃までは、ハシケを所有する回漕店が廃船にしたハシケを社宅代わりに使わせたり、はたまたトラックと同じようにハシケを買うなり借りるなりしてフリーランスで仕事をしている人が、自分が使用するハシケを住居代わりにする、要は水上生活者が、この頃の亀の橋近辺には残っていたということを示しています。

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*奥のハシケは屋形船風(?)に改装されています。


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*手動のビルジポンプ


よくよく考えてみるとそれもそのはずで、亀の橋の周りを見渡してみると、石川町駅が目の前だし、寿町に近いことから近所に安い飲み屋、飯屋は選り取り見取りだし、家賃(ハシケの所有者から賃貸している場合はこの限りにあらず)、電気(この頃は大部分がいわゆる"盗電"というヤツだったそうな)、水道(ハシケに大きなポリタンクが装備されている)がタダなうえに、これらのハシケは、もともと木造なので木材とクギがあれば改造自由なうえ、船体の大部分を占めている広大な貨物スペースをそっくりそのまま居住スペースに出来るとくれば、わざわざ高い家賃を払って狭苦しくてなにかと窮屈なオカのアパートに住む理由が見当たらない、というのも道理でしょう。

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*ハシケ後部にある縦長の箱が飲料水タンクで、内部は家電製品が完備されている。


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というワケで、「ファッションの街、モトマチには似つかわしくない風景だ」とどんなに声を荒げたところで、アレやコレやと理由をつけて権利を主張してみたり、はたまたほとぼりが冷めるまで余所へ移動して、ほとぼりが冷めた頃に再び戻ってくる、という対抗手段に訴えるのは至極当然のように思えます。

実際、中区史には「中村川の川面がキレイになったのは昭和56年(1981年)のこと」と記されていますが、ここにUPした写真を撮影したのは、その翌年の1982年の1月と7月。

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結局、数年前に行政がAPEC開催絡みで強権発動して、ようやく中村川、堀川から世間で言うところの「違法係留されたハシケ」とやらが一掃されたと聞き及んでいます(表向きは自主撤去ということになっているらしい)。

とにもかくにも当時はゴミだらけだった中村川、堀川がキレイになったことは喜ばしい限りですが、川面には艀が一隻も浮かんでいないうえに、川岸を柵や金網で囲ってしまう、というのはちょっとやりすぎに思えるのですが・・・・・・

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*写真はすべて1982年撮影。
*2015/03/14:写真10点追加しました。



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by yokohama80s | 2013-06-02 00:03 | 元町・石川町 | Comments(1)
Commented by 横浜出身者 at 2017-01-15 11:18 x
初めまして。
いつも楽しみに本ブログを拝見しております。
首都高建設前の怪しい雰囲気満点の中村川の写真、とても懐かしいです!

今後も、懐かしい中村川周辺の写真のアップを期待しております。


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