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週刊 横濱80’s

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2013年 08月 25日

新港埠頭 十二号上屋

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*1983年撮影(左が12号岸壁。右が三井LM倉庫)


新港埠頭12号岸壁は、現在のワールドポーターズ西端のあたりにあった全長93m、千トンクラスの船が一隻停泊可能の新港埠頭では一番短い岸壁でした。

と言っても、もともと新港埠頭造成当初は12号岸壁の万国橋側に13号岸壁があったのですが、震災前には13号岸壁は艀から貨物を積み卸しするスロープ状の物揚場に改築され、震災で9号から12号岸壁および新たに作られた旧13号岸壁の物揚場、要は簡単に言ってしまうと新港埠頭の西側岸壁全体が海に向かって崩壊。

その後の復旧工事で、崩壊した岸壁の先に擁壁を設けて崩壊した岸壁を埋立てて、さらにその先に桟橋を構築し復旧当時には9~10号岸壁は"横桟橋"と呼ばれ、そして12号岸壁には7、8号上屋を小ぶりにした同タイプの鉄筋コンクリート製上屋が1930年(昭和5年)に建てられ、一説によると高島埠頭の供用が開始されるまでは国内航路の定期航路の客船(小笠原や北海道方面へ向かう千トン未満の貨客船)が発着していたという話がある一方で、昭和10年前後の書物には「新港埠頭は12岸壁、11隻停泊可能」となっていることから、この頃には一番規模の小さい12号岸壁が岸壁として使用されなくなっていた可能性もありますが、どちらも裏付けは取れませんでした。

新港埠頭 十二号上屋_c0247059_1612261.jpg
*1983年撮影


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*1983年撮影


新港埠頭 十二号上屋_c0247059_16125296.jpg
*1983年撮影


ちなみに旧13号岸壁物揚場には1962年(昭和37年)に、旧13号岸壁から大岡川河口に幅約80m、長さ約260m(現在のみなとみらい16街区あたり)が一文字地区として埋め立てられ、そこを流通拠点とすべく数棟の民間倉庫が建てられました。

しかしもともと計画性を欠いていたのか、はたまた想像力に欠けていたのか、それともその双方なのかは今となっては知るよしもありませんが、もともと一文字地区は敷地が狭かったために、その後ほどなくして流通拠点は山下埠頭造成とともにそちらに移ってしまい80年代の一文字地区は開店休業状態。

そしてみなとみらい整備計画によりコスモワールドやスーパー銭湯があるあたり一帯が埋め立て造成されて新港埠頭は現在のような形になった、という次第。

ということで話を80年代ごろに戻すと、12号岸壁にも他の岸壁と同じように上屋が併設されていたワケですが岸壁延長が100mに満たず、さらに背後には旧東神LM倉庫こと三井LM倉庫があった為に、12号岸壁は海側も背後も余裕の無いきっちきちの状態。

という事情からなのかこの12号上屋は、80年代後半にいつの間にやらコソッと取り壊されて気がついた時には何もないタダの更地になっていました。

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*1987年撮影


で12号上屋の写真を改めて見ると、ちょっと興味深い発見が。

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*1983年撮影


もともと新港埠頭内のそれぞれの岸壁に建てられていた上屋には、それぞれ上屋の番号を意味する「No.〇〇」という文字が壁に描かれていたのですが、どういうワケか12号上屋は「No.12」の表示が、上の写真のようにアルファベットの「O」の下に横棒と点が二つ描かれています。

ということで「他の上屋はどうだっただろう?」とコンタクトプリントを確認してみると、当時、現存していた1~3号、5~6号と左突堤の8号上屋は、一般的な「No.」なのに対して↓

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*1983年撮影(6号上屋。右に旅客ホームがチラッと見える)


左突堤の左側(西側はたまた三菱造船側、今で言うとみなとみらい側)の9~11号上屋には12号上屋と同じように「O」の下に横棒と点が二つ描かれていました↓。

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*1983年撮影(9号上屋)


「ナンバー」をアルファベットで表記する時に「O」の下にに横棒を入れて「№」とすることもありますが(最近は見かけませんが、昔の人はよく「O」の下に横棒を入れていた)、Oの下の横線のさらに下に点が2つというのは私はこの例しか見たことがありません。

私にはこの「O」が、かつて埠頭内にレールが張り巡らされていて、貨物を移動させるのに使用していたトロッコ(いわゆる人力軌道で、基本的にレールにはカーブが無く直角に交差するようになっており、方向を変えるには角々に設置されていた象の鼻で発掘された転車台を使用していた←このような施設を作ったものの実際にはほとんど使われることが無かったようで、震災後の復旧計画をまとめた書物には「軌道施設は使用状況を考慮して復旧はしない」と書かれています)を抽象化しているように見えるのですが(横棒と点二つがトロッコで、「O」が荷物ネ)・・・・・・

なぜ9~12号上屋のナンバー表示だけが「O」の下に横棒+点二つなのかは今となっては知る由もありませんが、私には、この「ナンバー」には当時の人たちの「洒落っ気」と、ある種の「心理的余裕」が表れているような気がします。





*9月のUP予定
9月 1日: 海岸通3丁目 エヴェレットスチームシップ横浜支店
9月 8日: 海岸通2丁目 ニューピータースグリル
9月15日: 海岸通1丁目 ジャパンエキスプレスビル
9月22日: 海岸通1丁目 現・HAMA CAFE(マリン商会)
9月29日: 海岸通1丁目 大桟橋入口界隈


by yokohama80s | 2013-08-25 00:04 | 新港埠頭


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